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ニューフェイス一問一答
第ニ回 9月15日発売「ジョン平とぼくと」 著者:大西科学さん インタビュー



◆PROFILE◆

兵庫県生まれ。大学を出たあと、研究したり実験したりいろいろあって、今では会社づとめをしつつ子育てに奮闘する三児の父。98年頃から「大西科学」というウェブサイトで雑文を書いていて、そこではジャッキー大西という名乗りで知られている。理学博士だが、持っているからといって食べられるわけではない。

――タイトルにもなっている主人公の使い魔・ジョン平(じょんぺえ)ですが、この、なんといいますか独特なネーミングはどこからきたのでしょうか?

 まず、なによりも言及しておかなければならないのは「ボブぞう」のことです。もう、どこのどういう犬だったかよく覚えていないのですが、ある日テレビを見ていましたらば、そこにこんな名前の犬がでてきまして、私は思いました。なんて奥深い名前だろうと。和洋折衷といいますか、日本語の「ナントカ太郎」とか「ナントカ右衛門」とか、なんでもいいですが、このナントカにはもう、何持って来てもいいんだなと目から鱗が落ちたのです。関係ないですが、そのあと仙台で「かに正宗」というカニ料理店の看板を見ました。日本語って素晴らしいと思います。

 で、どうして「ジョン」かですが、「探偵!ナイトスクープ」という有名な大阪のテレビ番組がありますが、そこであるとき「ジョンといえば誰を指すのか」という調査をやっていたことがあったのです。あったと思って下さい。この番組ではあまり名作とも言えないような、いわゆる「小ネタ」に分類されるような回だったのだと思うのですが、それで、調査した範囲で一番多い答えが確か「ジョンといえば犬」だったのです。

 これは意外に鋭い結果だという気がします。確かに昔、私の家にもジョンという犬が実際にいたのです。どうしてこうなったのか、なぜ日本人にとってジョンと言えば犬なのか、そこには何か妙な理由、面白いエピソードがありそうな気がしてならないのですが、ただ「ジョンは犬」というのは、外国人で本当にジョンという人がいるわけですから、もしかしてすごく失礼なことじゃないか、特にジョン万次郎に失礼じゃないか、とは思います。すいません。私がすべての日本人に代わって謝ります。ごめんなさいジョンさん。

 というわけでジョンと言えば犬として、あと、「ウルフルズ」というバンドのベースをやっている人で「ジョン・B・チョッパー」という人がいるのですが、いろいろ読んだり聞いたりしていると、この人がどうも「ジョンB」と呼ばれているっぽいのです。ジョンビーと。特に必然性はないのですが、これがいかにも格好いい感じなので、「ジョンB」をちょっと変えて「ジョン平」にしました。実に、日本人らしい名前になったのではないかと思います。

――本作は魔法が一般的に存在する世界における、魔法の劣等生が主人公ですよね。いわゆる「主人公が特別な力を持っていたり、突然隠された能力に目覚めたりする」のとは対照的で、それもまた本作のユニークな点の1つだと思いますが、こうした物語を書こうと思ったきっかけはどういったものなのでしょうか。

 そうでした。この話の主人公は、特別な力を何も持ってないのでした。持ってないほうだと思います。

 このお話を考えるにあたって、まず、魔法が科学のかわりに発展した世界、というものを考えたわけです。魔法とか魔術とか、そういう名前ではないかもしれませんが、たとえば狐狸のたぐいが化けるようなものまで含めた超自然的な現象は、昔はみんなあると思っていたのに、科学の発展と浸透に伴って、まあそういうものはないだろうということになりました。これはつまり「科学が魔法を駆逐した」のだと、言えばいえます。であれば、小説の設定として、勝敗が逆転した世界、信長が本能寺を生き延びたとか太平洋戦争で日本が勝ったとか、そういう「逆転の世界」の一つとして、魔法が勝利した世界というものを考えるのは、そんなに突飛でもなくて、むしろありがちな発想というものかもしれません。

 ただここで、では魔法が使える世界だから魔法万能でよいのか。医学の代わりに「回復」の魔法だとか、自動車のかわりに空飛ぶじゅうたんだとか、そういうことではなくて、人々の考え方の枠組みとして「科学」のかわりに「魔法」を置くことができるかということですが、これがつまり、そうではないだろう、 と思うのです。

 そもそも、魔法と科学は天秤の両側に置かれるようなものではありません。たとえば野球とサッカーとか、ライスとパンとか、そういうAでなければBというようなことですが、そういうものではなくて両立したってかまわないものだと考えています。といっても、RPGの戦闘の時、コマンドで「銃」と「魔法」を選べるとかそういうことでもなく、魔法は結局「石油の燃焼」とか「空気の振動の回折」なんかと同じような「現象」で、一方、科学というものはある意味で、ある仮説が正しいかどうか、それをどう証明し、どういう言葉で記述すればよいかというような「手続き」や「考え方」のことですから、そもそもカテゴリの異なる言葉だと思うのです。さっきの例なら野球とオフサイドとか、ライスとフォーク、のような関係ですね。

 なんだかわからなくなりましたが、要するにそういうわけで、この話の主人公「北見重(きたみしげる)」は、魔法の支配する裏返しの世界において、ただ一人裏返しにならないで、私たちの現実世界からそのまま持って来たような人物です。魔法の世界で、科学の力を信じ、または、物理や化学、数学に自分の才能を見いだして、そこで生きてゆこうと思っています。魔法は苦手なので、まあいいやと思ってしまっている人です。これは魔法の世界において絶対的不利なのですが、ところがそうでもなくて、科学的思考法というのはどんな世界でも有効なのであると、まあ、そのあたりが描けたらいいなあと思って、かれをこういうふうに書くことにしました。

――元々は、大西さんが運営されているWebサイト「大西科学」(onisci.com)で発表されていたコラムが原作ということですが?

 はい。この「大西科学」というサイトでは、雑文という名前でひとくくりにして呼ばれていますが、私の書いたエッセイとか、小論文とか、フィクションとか、パスティーシュとか、そういったものをいろいろ発表してあります。「ジョン平とぼくと」はもともとこのサイトに、原稿用紙にして10枚から15枚程度のごく短い話(掌篇)として考えて、書いたものです。細かいことを言えば、物語の枠組みと主人公たちのキャラクター設定を借りてきて、新しい長篇を書かせていただいたものですから、言葉の厳密な意味では「原作」とは言えないのかもしれませんが、まず「大西科学」で発表した二つの話「ジョン平とぼくと」と「ジョン平は天気を占う」がもとになっていることは間違いないです。

 実は、これを長篇として書くにあたって多少設定が変わっているところもあったりして、あんまり誠実じゃないかなと思うことがないではないのですが、少なくとも主人公は重と、その使い魔ジョン平です。掌篇版に入っていたちょっとしたあれこれが、長篇のほうでも生かされているように、いろいろ考えて書いていますから、ぜひあわせてお楽しみください。

 余談ですが「大西科学」というのは、本当はこのサイトの名前で、私の筆名ではありませんでした。ただ、今回一冊の本として発表させていただくにあたって、この名前で出せたというのは本当にいい思いつきだったと思います。「なんとか制作委員会」とか「かんとか株式会社社史編纂部」みたいな感じの名前だと思って下さい。

――作品の見所・アピールポイント・こだわった点などを教えてください。

 日常的な、特別じゃない感じを大切にしました。何の役に立つのかよくわからない主人公とか、主人公に輪をかけて何の役に立つのかよくわからないジョン平とか、そういうメンバーでやっております。それでもけっこう世界は美しく、人生は楽しい、というあたりを、見いだしていただけましたら幸いです。私もおおむねそういう高校生活を送りました。

――最後に読者のみなさんに一言お願いします。

 あなたのために書きました。楽しんでいただけましたら、これに優る喜びはありません。どうぞよろしくお願いいたします。

■リンク
・「大西科学」内「特別なお知らせ」>http://onisci.com/publishing.html
 本編の原点ともいえる掌編「ジョン平とぼくと」および「ジョン平は天気を占う」はこちらから!

 

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