第一章 弱肉凶食①
『ソードウォウ』高校生大会の個人戦では、競技時間は十五分(ワンクオーター)と定められている。
時間内に互いの『的』を破壊し合い、試合終了の時点でより多くの得点を得た方が勝者となる。両手両足の『的』は一点で、胸の『的』は五点。同点の場合はサドンデスとなり、それでも決着が着かなければ判定勝負となる。
リザ・クロスフィールドのデビュー戦も、当然十五分の制限時間で行われたが――結果から言ってしまえば、試合は十分も経たないうちにケリが着いた。
『パ、完全試合(パーフェクトゲーム)……』
震えた実況の声が、闘技場に響き渡る。
観客席上部にあるスコアボードは、選手の『的』とセンサーで繋がっており、両者の得点状況が随時表示される。五芒星に似た図形の一つ一つが『的』と連動しており、『的』が破壊されると灯りが消える仕組みだ。
現在スコアボードでは、片方の選手の灯りが五つ全て消え、そしてもう片方の選手の灯りは五つ全て灯ったままだった。
それが意味することは――
『なんと、なんと、勝者は……阿木双士郎選手。自分の「的」を一つも破壊させずに、クロスフィールド選手の五つの「的」を全て破壊……。いわゆる、完全試合です……。しかし、これはいったい……』
『な、なんて言えばいいのかな……』
闘技場は静まり返っていた。
思いもよらぬ結末に、まるで予想していなかった大番狂わせに、誰一人としてまともな感想を口にすることができない。
試合を見た全ての者が深い混乱に陥っていた。
しかし混乱の度合いで言えば――記念すべきデビュー戦で完全試合を喰らってしまったスーパールーキーが陥った混乱は、観客達の比ではなかった。
(負け、た……?)
結果だけ見れば、完全敗北以外のなにものでもない。
しかしリザは自分の敗北を、まるで受けいられずにいた。
(負け……? え……? なにこれ……? こんなことって……)
わからない。
なにがなんだかわからない。
自分がなぜ敗北したのか、全くわからない。
未熟さと傲慢さ故に敗北を受け入れられないわけではなく――戦場でなにが起こったのか全くわからなかったのだ。
気がついたら負けていた。
負けた、という実感がまるでない。悔しさも惨めさも湧いてこない。
試合終了のブザーも、スコアボードに表示された対戦結果も、なにもかもが他人事のように感じる。
(おかしいわよ、こんなの……)
もしも――対戦相手の男が実はとんでもない強者で、今までずっと隠していた実力を発揮して自分を圧倒した、という話ならばまだ納得できる。
だが、そうではない。
相手の男は――決して強くはなかった。
彼が強かったわけではなく、リザが――
『いやー……なんとうか、奇妙な試合でしたね……。パッとしないというか、見栄えしないというか。阿木選手は、フレアのために一発魔弾を使っただけで、クロスフィールド選手に至っては、魔弾を一発も消費していません。純粋な体術だけの決着となったわけですが、その体術にしても……』
『うーん……リザちゃんも、初戦だから緊張してたのかな? 明らかに動きが悪かったね。とてもじゃないけど、欧州の中学生覇者とは思えない』
そう。相手が強かったわけではない。
リザが――弱かったのだ。
普段通りの動きを一切できず、困惑と動揺が解消せぬうちに五つの『的』を破壊されてしまった。欧州の∪15の大会で優勝を手にした彼女の実力は――国際攻魔騎士管理機関『メルクリウス』より『閃雷』の二つ名を授かった彼女の真価は、なに一つ発揮することができなかった。
まるで、悪い夢でも見ていたような――
「……え?」
ステージに跪いて顔を伏せていた彼女は、ふと顔を上げる。
自分に勝利した阿木双士郎が、すぐそばまでやって来ていた。白濁した白髪の隙間から覗く眼が、リザを見下ろす。
「な、なによ……?」
警戒と敵愾心を露わにしたリザを無視して――双士郎は片手で顔を覆った。
やがて、彼の体が徐々に震え始める。
「……ク、クク、ククク」
顔を覆う掌から、音が漏れる。
ずっと沈黙を保っていた口から零れたのは――笑い、だった。
「ククク……ククッ、クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカァ――ッ!」
哄笑。
静まり返る闘技場の中心で、彼は一人、声を上げて笑う。
大口を開け、犬歯を剥き出しにして、腹の底からゲラゲラと大笑いする。
この世の全てを見下し、蔑み、嘲笑するかのように――
「クカカカカカカッ、ククク……どうだよ、リザ・クロスフィールド。早漏だって馬鹿にしてた男にイカされちまった気分はよォ?」
ようやく笑いを収めたところで、双士郎は酷く愉快そうに言葉を紡いでいく。
「これが十年に一人の天才と謳われた『閃雷の騎士』かよ? はっ。大したことねえなあ。期待外れもいいとこだ。強い弱い以前に、勝負ってもんを根本的にわかっちゃいねえ。ただの雑魚じゃねえか」
「なっ!?」
失礼極まりない言葉の連続に、リザはキッと相手を睨みつけた。
「ざ、雑魚ですって!? こ、この私が……」
「ああ、雑魚さ。雑魚で不服なら……まあ、カモってとこかな? 簡単に勝ち星を提供してくれる、実に美味しいカモだ。頭の方も鳥並みにスカスカみてえだしな。クク。栄養全部でけえ乳に行ってんじゃねえのか?」
「っ!?」
品のない罵倒に、カァ、と頬が熱くなる。リザは跳ねるように立ち上がり、相手へと詰め寄った。
「ふ、ふざけんじゃないわよ! もう一回、もう一回勝負よ! こんなの……あり得ない! この私が、あんたみたいな早漏に負けるはずないのよ! 絶対なにかの間違いだわ……ちゃんと本気で戦えば、今度は――」
「もう一回? 今度? クク。どこまで甘ちゃんなんだかな、このお嬢様は? 生きるか死ぬか、勝つか負けるか……真剣勝負の世界じゃ、泣きの一回は存在しねえんだよ。勝負をナメるのも大概にしな」
「だ、だって――」
「いつまで恥を重ねる気だよ、馬鹿おっぱい。これ以上口を開けば開くだけ、自分が言い訳しかできねえ無能だって周囲にアピールするようなもんだぜ?」
リザは口を噤み、ギリギリと歯を食いしばった。
なにも言い返せなくなった彼女を見て、双士郎はさらに笑みを深くする。
「クカカカカッ! 無様だねえ、リザ・クロスフィールド。てめえもいろいろと事情抱えて戦ってたんだろうが、この一回の敗北で全てがパーだ」
勝者は敗者を、ひたすらに罵倒し続けた。
「お前は強い。俺よりもはるかに強い。だが――今日勝ったのは俺だ」
そんな勝利宣言を述べた後、双士郎は再び、堪え切れんとばかりに笑い出す。闘技場全てに響き渡るような大音量の嘲笑を撒き散らしながら、彼は姿を消していった。
残されたリザは、悪魔のように嗤う男の背を、呆然と眺めることしかできなかった。