親はなくとも子は育つ、か?

 両親は大体いません。
 あ、ラノベの話ですよ?
 主人公の両親は海外に長期滞在しなければならなかったり、あるいは長期不在にならざるを得ない仕事に就いていたり、何をしているのかよく判らないけどとにかく留守がちだったり、作家や漫画家だったりして主人公とまったく生活サイクルが合わず、結果的にほとんど顔を会わせなかったりなどします。
 ちょっとまともなところでは、遠くの学校に進学した主人公が一人暮らしの状態だったり、どこかで修行しなければならなくなった主人公が親許を離れなければならなくなったり、あるいはすでに死別していたりします。
 変わったところでは、17回目の新婚旅行中だったりとかもしますね。
 なかには両親が子供になってしまったので、主人公がそれを育てなくてはいけなくなった……という話もありましたが、これは両親不在なんだかどうだかよく判りませんw
 とにかく両親は大体いません。
 なぜでしょう?
 端的に言うと、まあ「邪魔」だからですね。
 大体両親は、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、という主人公の行動に対する抑止力として働きますから、主人公の行動に制約がつくんですね。わりとリアルな。
 これを物語作りの障壁と感じる作者さんが、あらかじめそれを排除しているため、ラノベに両親不在設定が多いのではないかと思います(※もちろん制約を活かして物語を作る、という方向性もあります)。
 若い作家さんであれば「ラノベの中でぐらい両親の束縛から解放されたい」という無意識下での願望があるかもしれません。
 しかし「邪魔だから排除する」というのは、ある意味まだ健全です。それは両親を、「邪魔になるほど力のある存在だ」と認めていることの裏返しだからです。
 最近の投稿作を読んでいると、「両親がまったく出てこない」「いるんだかいないんだかも判らない」という作品に結構な確率で出会います。
 いるんだけどほとんど描写されない、あるいはまったく触れられない。ほぼ空気。
 つまり「両親の存在」が作者の関心の外にあるわけですね。
 ほんの一昔前はいわゆる「父親殺し」「母親殺し」はわりと普通のテーマでしたから、こうした傾向はちょっと隔世の感がありますね(※あ、この場合の「●●殺し」は本当に殺すわけじゃなくて、いわゆるエディプスコンプレックス・エレクトラコンプレックスという意味ですよ)。
 そういう意味ではラノベに登場する「親」という存在に注目してみると、今の世の中がちょっと透けて見えてくるかもしれませんね。
 ……えぇと、特に面白い結論はありませんよ。原稿読みをしながらの、最近の私の単なる雑感なんで!

★追記
 ふと思いましたが「あの花」や「まどマギ」では親の存在はちゃんとしていましたし、その果たす役割もしっかりありましたね。「あの花」のお墓参りのシーンや、「まどマギ」でまどかの母がお酒を飲んで愚痴(弱音?)を口にするシーンとか、ぐっとくるものがありましたし。それを考えると別の潮流もきちんと動いてるってことなのかもしれませんね。